〜イスマス〜
彼女の中の人間である部分が、何度その手を差し伸べようとしたか分からない。
その度に、彼女の中の神がそれを拒否した。
彼女の中の神である部分が、何度あるべき場所への帰還を望んだか分からない。
その度に、彼女の中の人間が、反らせない視線を意識させた。
矛盾を抱えた女神は、それでも見た目は静かにその場に佇んでいた。
シェリルにとって、この千年は限りある命の中に置き去りにされて
過ぎていくものだった。神々の中で最も近くで人間を見てきた闇の女王。
それだからこそ彼女は不滅の神なる身を強く意識する。
もう十分過ぎるほどに彼女の運命に手を出したのだ。
これ以上の干渉は許されない。
そして干渉したからこそ事態を見届ける義務がある。
譬え忌まわしい何らかの瞬間を目にすることになっても。
人の姿をとった女神は、千年の記憶に打ちひしがれるアルドラをこの地まで追って来た。
傍らには、アルドラの運命を作り出したひとりでもある幸運の魔女が
せわしなく女神と「主人」の間で視線を往復させている。
人の姿の無くなったイスマスの王室。
そのテラスから、2者は地上を見下ろしている。
いつもはそれぞれの習性のままに徘徊するモンスターたちが、
城の前に膝を落としたアルドラの周りに集まり、彼女の発する赤黒い気を見上げていた。
この異様な光景に、北から何名かの人間たちが迫っていることも女神は知っている。
しかし、アルドラに何が起こっているのか、これから何が始まるのかは分からない。
幸運の魔女は逸早くサルーインのミニオン、ワイルの姿を捉え、すべてはその所業であると
飛び出そうとした。しかし次の瞬間、ワイルの姿は大型のモンスターの陰に見えなくなった。
幸運の魔女「此処にいるのはアルドラ様のためになりません」
シェリル「あの下郎どもは、別に彼女に危害を与えようとしていない」
幸運の魔女「シェラハ様!」
シェリル「手を出す権利があるのは…人間だけだ」
シェリルは相手に対して何の強制力も与えていなかった。
既に主たる冥府の王に背いたと考えれば、幸運の魔女にはもう畏れるものは何も無い。
それでも一言、赦しを乞う言葉を告げたあと、彼女はテラスからその身を投げ出した。
その背の三日月が天から零れ落ちたように、弧を描きながら地に舞い降りて行く。
そこに伸ばしかけたその手を震わせて、シェリルは俯く。
これは選択だ。自分の選んだものと、あの可愛そうな冥府の住人のそれは違う。
それだけのことだ。そう自分に言い聞かせていた。
しかし哀れにも彼女では役者が不足しているのだ、と彼女は思った。
シェリル「(あの男はこんな時に何をしているのだ?)」
眉を寄せてシェリルは天を仰ぐ。
暗雲が渦巻き、禍々しい何かを吐き出そうとするように蠢く空を。
***
何もかもが理解を超えていた。
モンスターの群れの中に倒れたサルーインの一の僕は、自分が居る場所も、
置かれた状況も見失ってしまった。
奔流のように何かがその身を押し流そうとしている。
ワイル「(何だ?これは何だ?!…サルーイン様?!)」
間もなく、彼は目の前の事態に意識を向けていられなくなった。
***
集まったモンスター共をどうにかしなければ、
アルドラの元へは辿り着けない。
先頭を駆けながら、ディアナは「剣の女王」を抜いた。
幸いにもモンスターたちはまだ此方に気付いていない。
まるで催眠にでもかかったように、モンスターたちは皆、イスマス城に目を向けている。
ディアナにとって、これは気分のいい光景ではない。
生まれ育った場所が更に蹂躙されているように彼女には思えた。
ディアナ「ミリアム!」
振り返らずに彼女は叫ぶ。もちろん、意味するところは明らかだ。
眼前に群れ為すモンスターを蹴散らすのだと細い背中が語っていた。
ミリアム「え、え?ちょっと!」
バーバラ「待ちなさい!無茶よ!」
出遅れたバーバラが止める間もなく、ミリアムは術の行使を始める。
しかし、術法で援護するには、ディアナは先行しすぎていた。
ミリアムには、この状態で味方に注意しながら「火の鳥」を放つだけの技能が無い。
最初から彼女はショックウェイヴを撃つつもりでいた。
バーバラは突出したディアナを止めるために、足を止めて詠唱を始めたミリアムを追い越した。
ディアナを止めようにも、間に合いそうにない。
彼女が追いつく前にディアナは円舞剣を放つ。
何かしなければどうにもならない状況であることは自明。
ただ、たかだか円舞剣の一発でどうにかなる数ではない。
現存するどんな技や術法でも、大群に効果のある術は存在しないのだ。
一度に相手できるのは5〜6頭が精一杯である。
踊り子であるとはいえ、戦いの場で身体を動かすのは久しぶりのことだ。
バーバラは武器を抜かず、とにかくディアナを一旦下がらせようとしていた。
円舞剣は何体かの低級魔族を蹴散らしたが、それによって更に多くのモンスターが
我に返ったかのように突然の襲撃者に振り返って声を上げる。
神聖な何かを邪魔されたかのように、吠え声が当たりに響き渡る。
舌打ちしたディアナが剣を構え直したところに、
カットインの応用で足を速めたバーバラがようやく追いついた。
バーバラ「下がって!この数に正面から向かってどうするの?!」
故郷を目の前にしたディアナの心情は想像するに難くない。
だからといって無茶が許される場面ではない、とバーバラは首を振る。
多数のモンスターが同時に彼女らに向かって突進して来た。
そこにミリアムのショックウェイヴが間に合ったが、モンスターが更に迫ってくる。
統制が取れておらず、結果として互いを押しのける体になったおかげで
一瞬の間が生まれる。退くなら今しかない。
数頭のモンスターの攻撃をディフレクトで受け流しても、その背後から
更に多くの敵が迫っているのだ。
下がれと言ったバーバラの方が、足をもつらせてしまう。
転倒しかけたところを、二の腕を摑んだディアナに救われる。
だが、それでディアナも足を止めることになってしまう。
この場面でディアナは気丈にもバーバラを庇うように敵の前へ出た。
ゲリュオンの鎌首がその眼前に迫り、背後かライノクロウラーが数頭、
その身を礫に変えて突進して来る。
ミリアム「やば…!」
後方に居るミリアムは再度、術法の詠唱に入ろうとしたが、
その脇を突然の衝撃が駆け抜けた。
ミリアム「…っと!」
ゲラハ「ミリアム殿、そのまま続けてください」
ディアナ「助かったわ、早く!」
ようやく彼女らに追いついたかと思えば即戦闘。
この事態でも冷静に「光の腕」を放ったゲラハは、そのままミリアムの脇を駆け抜け、
更に後退してくるディアナたちと入れ替わるように前へ出た。
ゲラハ「よく分かりませんが、此方に引き付けます」
「此方へ」という言葉にスコーピオンの穂先を動かすジェスチャーで説明を加え、
ゲラハは更に足を速める。
ディアナ「側面からアルドラを助ける!バーバラ!無茶はしないで!」
言葉とは裏腹に、ディアナは三日月刀を相手に投げ渡す。
暫く実戦から遠ざかっていたバーバラは、戸惑いながらも従うしかなかった。
バーバラ「いや、それこっちの台詞だから」
ミリアム「援護するわ!」
ゲラハは全身を使ってそのままスウィングを放ち、
技を出すための動きでそのまま身を翻らせ、そして単体術で
迫り来る敵の注目を集めながら右へ走った。
ディアナらは大きく左に迂回して、まだ朦朧としているモンスターたちの
隙を突こうという算段だ。ミリアムはこの場ではゲラハのフォローに回るつもりでいたが、
ディアナたちの方へ向かう数頭のモンスターを倒す必要に迫られた。
まずは奇妙にも固まった群れを分散させることだ。
そのためには足を止めずに挑発を繰り返す必要がある。
ゲラハはそう判断して蛇行しながら群れを引き付ける役を買って出たのだ。
だが、そうして引き付けるにも1人では心許ない。
いつもは脅威にならないコカトリスが数頭、彼の足に追いついてくる。
どのような巨体でも理解不可能な瞬間移動ができる魔族が、
彼の動きに合わせて先回りしてくる。
彼はパワーデビルの足元を転がって潜り抜ける。
素早く体制を立て直すと共に、向きを変えて駆け出したが、
目の前にコカトリスが迫っていた。
その背後を確認してから、槍を脇に構え直し、彼は溜めた気をチャージと
呼ばれる技に変えて繰り出した。
だが、パワーデビルがすでに瞬間移動で回り込んでいる!
同じ手は通用しないとばかりに、邪悪な息を吐き出しながら、相手は
鉤爪を地面すれすれに繰り出してきた。
これを槍で受けることはできる。だが先程のコカトリスはまだ倒れておらず、
背後から迫っている。といってジャンプでかわそうとすると、
コラプトスマッシュに捉えられる可能性がある。
左か右へ転がって避けるか?それでコカトリスの鋭い嘴や足蹴りから逃れられるか?
視線をめぐらせ、軽く息を吐く。槍の握りを確認するように指を滑らせ、
ゲラハは跳躍した。そして頼みの武器をそのまま鉛直に
振りかざし地面に突き立てると、それを支点にぐるりと一回転。
眼前に迫った鉤爪をかわし、そのままコカトリスの背を蹴って舞い降りた。
足を止めてはいけない。そのまま彼は向きを更に変えて駆け出した。
背後ではコカトリスにパワーデビルのコラプトスマッシュが綺麗に炸裂している。
さてと視界を広く取ろうにも、最早モンスターの大群の中に味方の姿を探すのが難しい。
厄介なことには、出鱈目に吐き出された死人ゴケや暴風が更に視界を遮っている。
どうやらミリアムは完全にあちらのフォローに回るしかなくなったようで、
目論見どおりではあるものの、ゲラハは孤立していた。彼は混乱を齎すことに
成功してはいた。しかしそれでも十分に敵を引き付けたかどうかは疑わざるを得ない。
ゲラハ「(せめて帝国かクリスタルシティの軍隊が動けば…)」
現状、騎士団領の時のようにはいきそうにない。そのように思いをめぐらせた刹那、
彼は見慣れない暗色の光に完全に虚を突かれた。
しかしそれは彼を捉えることは無く、周囲のモンスターに炸裂する。
ゲラハ「?」
ひるんだゲリュオンと山おやじの頭の上をぼよんぼよんと飛び跳ねるようにして
何かが降って来た。
幸運の魔女「貴様、アルドラ様の仲間だな?」
そのまま彼女は華麗に地上へ、という場面だったが、
ほぼお約束どおりにお尻を突き出したドジっ子な転び方をする。
そして首をかしげた山おやじに三日月ごとむんずと掴まれてしまった。
幸運の魔女「離せ!この下賤が!」
ゲラハ「…今忙しいので失礼します」
幸運の魔女「待て!助けてやったのにその態度は何だ?!」
山おやじ「???」
見慣れない人形を与えられた幼児のように、山おやじは幸運の魔女をつかんだまま
色んな角度から見たり、においを嗅いだりしている。
ゲラハ「それはサービスシーンか何かですか?
申し訳ありませんが、此方は本当に忙しいのです」
幸運の魔女「助太刀すると言っているのよ!」
山おやじはあーん、と口をあけて、喚く幸運の魔女を高く持ち上げると、
そのままの勢いで後ろ向きにキレイに転倒した。
隙を突いてゲラハが足払いしたのだった。
ゲラハ「では、私はこれで」
幸運の魔女「ゲッコ!話を聞け!」
ゲラハ「…まずい展開です」
そこにいるモンスターの群れだけで大変であるところ、
地響きが新たな来訪者の到来を告げていた。
岩盤、土壌、モンスターに至るまでを巻き上げて、それは咆哮をあげる。
丁度、アルドラの前に立ちはだかる様に現れ、
尾撃で周囲のモンスターを蹴散らしたのはドラゴンの巨体だ。
それは今にも燃え盛る炎を吐き出そうとしていた。
***
イスマスの財源である鉱山を内側から破壊するようにして、
岩盤を撒き散らしながらそれは現れた。
何とかアルドラの元まで駆け抜け、混乱の中で機を見つけて逃げようと考えていたディアナは、
目標に到達する前にその姿に身を凍らせる。
ディアナ「レッド…ドラゴン」
故郷が一夜にして滅んだあの夜、弟を庇った彼女の前に現れた巨大に過ぎる脅威。
武器を構える間もなく、尾の一撃だけでその場から吹き飛ばされた記憶が彼女の脳裏を過ぎる。
それは彼女にとって全てを奪ったものの象徴だった。
奥歯が噛み合わない。最早あの時とは比べものにならない戦士に成長したのだと
自身を鼓舞しても、恐怖の記憶はそう簡単に身体を動かしてはくれない。
ドラゴンは見境無く周囲のモンスターを蹴散らしており、そこに生まれた混乱のおかげで
彼女はモンスターたちの注目を受けずに済んでいた。
バーバラ「ディアナ!体制を立て直しましょう!」
ミリアム「ちょっと…アレは…私じゃ無理」
背後から距離の離れた小さな声で仲間の声がする。
しかし彼女は脅威に視線を釘付けにしたまま動かない。
バーバラ「ディアナ!」
ディアナ「…!」
我に還る。そう、今すべきはアルドラを救うことだ。
何者が妨害しようと、それは変わらない。
アルドラの姿は完全にドラゴンの巨体の向こうに見えなくなっている。
左右は崩された岩盤とモンスターで塞がれている。
足元を潜り抜けようとすると尾の一撃を喰らうだろう。
それより先に接近する途中でブレスが来る可能性のほうが高い。
回避することも、隙を突くことも困難だ。
それならば、できることはたった一つしか残されていない。
ディアナ「私はイスマス侯ルドルフが長女、ディアナ!貴様など恐れはしない!
邪なる者よ、我が正義の刃を受けてみよ!」
ミリアム「ちょ、アンリミテッドな台詞はともかく、無茶だって!」
バーバラ「待ちなさい!」
ディアナ「ブレスが来るぞ!左右に避けよ!」
ふたりの目前で、ドラゴンの吐き出した炎の中にディアナの姿が消えた。
バーバラ「ああ…」
ミリアム「な、何?今…誰か…ゲラハ?」
バーバラ「ディ…!」
ディアナの姿を捉えようと爆風の中でバーバラは顔をあげたが、
飛来してきた何かに視界を塞がれてしまった。
バーバラ「な、何?これ、メイド服?」
ミリアム「バーバラ!」
炎の中にシルエットが浮かびあがる。
アルベルト「姉上はいつもこうだ。ひとりで無茶をするのはおやめ下さい」
ディアナ「ア…アルべ…っ!」
非常事態にアルルの封印が解けたのだろう。
メイド姿でディアナたちの後を追ってきたアルベルトは、
姉を抱きかかえた姿で、一同の前に復活したのだった。
メイド服の中に着ていたのだろう、羽根のようなマントが爆風に舞っている。
アルベルト「立てますか?」
ディアナ「元々倒れてなどいないわ」
弟は誰より姉のことが分かっている。
正真正銘の姫君であるからこそ、お姫様抱っこと呼ばれるような状態を
大人しく受け入れるような個性ではないのだ。
顔を背けた姉を見ながら、アルベルトは頭を下げた。
アルベルト「失礼しました」
ディアナ「…」
貴族の男子として学ぶべき場面のすべてを奪われた故に、弟は心優しい代わりに
頼りの無い青年に成長してしまった。姉はそう考えていた。
自分を抱きかかえるほど逞しくなったとは思ってはいなかったのだ。
こんなに太い腕だと、こんなに胸板があると思ったことはなかったのだ。
アルドラに人格破壊されてから、この間までオカマだったとか
そういう設定はどうなったのだろう。
ディアナ「行くわよ、アルベルト」
それでも、地面に降ろされるや、姉は気丈に立ち上がって、
脅威の前に弟を庇う体で立つ。
アルベルト「恐れながら姉上、無策で勝てる相手ではありません」
小癪な事に、実力の伴わない熱血漢だったはずの青年が正論を言う。
色々なものがこみあげるのを堪えながら、ディアナはようやく弟に顔を向けた。
ディアナ「純情メイドをしながら男を磨くとか、バルハル流の教育はすごいわね」
こみ上げる感情は、普通は涙とかそういう類の生理現象に置き換わる。
彼女の場合は弟にそれを見せたくないからか、涙を一切感じさせない笑顔だった。
ただし、鼻血は抑えられず、一筋のそれが端正な顔の上を滑り落ちていく。
アルベルト「姉上、血が!」
ずず、と鼻血をすすり上げながら姉は顔を背けたが、弟はその胸中を知る由も無い。
アルベルト「おのれモンスターめ!許さんぞ!」
ミリアム「…っと。ツッコミは後にしようね、バーバラ。バーバラ?」
バーバラ「そ、そうね」
アルドラの記憶を見た者は、生々しい彼是を色々知ってしまった所為で
アルベルトを直視できないのだった。
***
待てという声に振り向いている場合ではなかったが、
挙がった名前には首を向けざるを得ない。
ようやく山おやじから解放された幸運の魔女は再び地面に伏せる格好になってしまったが
そのおかげで身体を張って鶴亀算に挑むような低い視界がワイルの姿を捉えたのだった。
ゲラハ「ミニオン・ワイル?一体何処に?」
幸運の魔女「そっちではない!左、500アゴニィ!」
ゲラハ「その単位は読者に通じないそうです」
仲間をフォローする場面であるが、ミニオンはこの混乱の中心である可能性がある。
とはいえ、距離的には其処へ向かうのと仲間を助けに戻るのと大差が無い感じだった。
ゲラハはどうしたものかと視界をめぐらせ、望んでいたものが現れたことに気付く。
ローザリアの兵士だ。先頭は馬車を駆ったガラハドのようだ。
現状あくまで斥候を出したというスタンスで、数ではこの混乱を収めるには不足している。
それでもガラハドはすぐに馬車を飛び降りて戦闘態勢に入り、
入れ替わりにあたふたとエルマンがたずなを取る。
同時に馬車の後方から帝国のふたりが飛び降りた。
援軍を要請する者、この場で様子を見る者に兵士たちは別れ、皮肉にも
冒険者や帝国の人間が先頭に立って指揮を執っている。
ドラゴンは気になるが、この混乱の演出者かもしれない者を追い詰めることで
事態を収拾できないかとゲラハは考えた。
ゲラハ「止めさせましょう」
幸運の魔女「行くぞ」
ゲラハ「いきなり現れて仕切らないでください」
ゲラハと幸運の魔女は、そのまま肩を並べてモンスターの群れを掻き分け、
立ち上がると見えなくなるワイルの姿を探し出すことにした。
姿は見えないが、他のモンスターと明らかに異なる奇声で
ワイルはその存在を晒している。
ゲラハ「何を叫んでいるのでしょう?ワイル、というよりヘイトのような…」
幸運の魔女「いや、ワイルだ。間違いない」
低い声で呻いたかと思うと急に声をあげて叫び、それは笑いになったり
怒りになったりと刻々とその姿を変えていた。
ふたりがその姿をようやく見つけた時、サルーインのミニオンは
のけぞらせた後頭部が地面に擦りそうな、物理的に有り得ない姿勢で
激しく身を痙攣させ、両腕は何かを求めるように、あるいは何かを拒絶したり、
身を守るようであったり、天頂こそが終生の仇敵であるかのように突き上げたりと
またさまざまに動きを変化させている。
ゲラハ「あの奇天烈な行動でモンスターを操っているのですか?」
幸運の魔女「…?」
幸運の魔女の予想では、アルドラを取り囲むように
モンスターを指揮しているはずのワイルだった。
と、天空を彷徨っていたワイルの視線が、不自然かつ急激な
首の動きと共にいきなり彼らのほうへ向けられる。
ワイル「ヒーッヒッヒッ」
ゲラハ「やっぱりこれはヘイトなのでは?」
幸運の魔女「来るぞ!」
突然に上体を上げたかと思うと、ワイルは顔の前で両腕を構えた姿で2者の方へ突進して来る。
駆けているのではなく、風にあおられた赤い布が飛び込んでくるように。
幸運の魔女はすでに術法の詠唱に入っている。
生じたエナジーボルトの後を追うようにゲラハは槍を構えて駆け出した。
幸運の魔女「馬鹿な!」
ヘイトを覆う赤黒い気が、突如壁のように大地からせり上がると、エナジーボルトは
それに弾かれて軌道を反らせた。ゲラハは瞬時に足を止める判断をする。
標的の様子はあきらかに異質、いつものミニオンと考えてはいけない様子だ。
だが、そのヘイトはいつの間にか足を止めたかと思うと、そのまま自ら大地に転がった。
来るな、・・・して、引き裂け、違う、誰だ、寒い、ああ、笑うな、
憎い、抱きしめて、燃えろ、何とでも言え、殺してやる、決め付けるな、
貴様が、どうしてだ、嘲笑え、そこだ、よくも、どうせ、暖かい
聞き取れた声は全く意味が繋がらない。
喜怒哀楽の全てが其処にあり、そしてまとまった形が無い状態だ。
ゲラハ「私たちを認識していない・・・?」
幸運の魔女「ミニオンめ、怪しげな!」
ゲラハ「…!」
赤黒い気はヘイトを包むように大きく広がっていた。
解釈を試みる前に本能でゲラハは危険を察した。
そして、槍を回し隣にいる幸運の魔女を薙ぎ払う動きで突き飛ばすと、
自身も身を翻して横に転がる。
赤黒い気が彼らのほうに伸び、まるで巨大な拳のような姿を形作っていた。
それが、たった今まで彼らのいた地面を穿ったのだ。
ゲラハ「まさか…」
"邪魔をするな!"
ゲラハの耳に言葉が届く。
ゲラハ「主サルーイン…?!」
幸運の魔女「な…サルーインだと?!」
ワイル「ゲッコ族に…デス様の下僕…」
ゲラハ「いや、あれは・・・やはりワイルです」
だがやはりそれは普段のワイルの声色とは異なっている。
2者が攻撃をかけるべきか躊躇していると、ミニオンは一言だけ語った。
ワイル「覚えたぞ」
ゲラハ「いや、覚えるも何も・・・戦ってませんし」
幸運の魔女「突っ込む言葉が耳に届いているのか?」
ワイル「・・・」
ミニオンの動きは突然に止まり、それと共に膨張していた赤黒い気が
いつものサイズに戻る。そのまま倒れるかと思わせる動きの後、
腰で全てを支えるようにワイルは上体を反らせた。
そして一芝居終えた残身という体で、ゆっくりとした動きで
天を仰ぎながらミニオンは上体を持ち上げていった。
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